プログラマ35歳定年説に物申さない

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プログラマ35歳定年説というものがある。
35歳になると能力が衰えて技術習得が追い付かず時代の流れについていけなくなるというものである。

これについては常々違和感を感じていた。
名目上は頭脳労働であるプログラマが35歳程度で働けなくなるなんてあるのだろうかと。
しかし、自分自身がその年齢になってみると確かにいろいろ厳しいと感じることが多くなってきた。

私自身が感じていることをいくつか述べてみたいと思う。

  1. 糞な設計に強烈な違和感を感じるようになった。
  2. 割り込み作業が増えた。
  3. コードを書いてもなぜかあまり評価されない。

それぞれについて少し説明をしたいと思う。

1.糞な設計に強烈な違和感を感じるようになった。
いろいろな経験や勉強を経て、自分自身が最も良いと思っている設計思想が確立されたと思っている。
そのためかダメな設計に対して違和感を感じるようになってきた。

私自信が設計で気をつけることはいろいろあるものの、最も気を配っているのは適切なスコープである。適切なスコープを切るためには適切なクラス設計、コンポーネント設計、アーキテクト設計が必要という比較的上流のレベル、利用する付近で変数宣言をする、関連処理は一箇所に纏めるひいてはメソッドとして切りだせるという下流レベルまで一通り適用できる。

しかしこれに反するものを見たときになんとなく拒否反応が出るようになってきてしまった。こんなことではいけないと思いつつもどうもだめだ。

メソッドの先頭で10も20も変数が定義されているのに、メソッドの中身は実質いくつものブロックに分かれており、それぞれのブロックでは数個の変数しか使わないというコードは比較的よく見かける。
こんなものは変数定義を利用箇所の直前に変えメソッドを分割するべきである。20も変数を覚えつつメソッドの処理を追うなんて人間の脳の処理能力を超えているのである。

昔は頑張って読み解いていたが歳を取るごとにバカバカしさの方を強く感じるようになってきてしまっている。立場的にも指導する立場になり批判的にコードを見ているということが少なからず影響しているのかもしれない。

2.割り込み作業が増えた。
コード書きとは関係のない割り込み作業が非常に増えたと感じている。年齢というより立場の問題ではあるがそのような立場になる時期と年齢は無関係ではないだろう。なにがしの状況はどうなっているのか報告書を書けだの、進捗はどうなのか数字を纏めろ、突如発生した問題の対策会議を開くから集まれだといった作業が10年前に比べてやけに増えた。

正直、現場のプログラマへの配慮が足りないと思う。1時間を6回与えられた6時間と6時間を1回与えられた6時間はプログラマにとって意味が違う。どういうわけかそういうところに配慮してくれる人は少ない。

個人的な意見では作業が中断されるとだいたい30分から1時間くらいの作業内容は失われるくらいに考えて貰いたいのである。なるべく効率よく再開できるように手は打つが効率が悪くなることは避けられない。

3.コードを書いてもなぜかあまり評価されない。
これは開発手法やプロジェクトにも依存する話だと思う。ただ、私が関わったプロジェクトでは管理層がコードを見れない、見ないことが多かった。なので良いコードを書いているか悪いコードを書いているか判断しようがないというのはあったのかもしれない。正直これは良くないと思う。管理者もコードを書けとまでは言わないが見るくらいはすべきだと思う。そうでなくてもサブリーダーなどに誰が綺麗なコードを書いているかくらいは確認すべきだと思う。

比較的先進的な企業ではマネージャ層もある程度積極的にコードを書くそうだがさもありなんという感じである。なぜならコードの善し悪しはお金に直結する。綺麗なコードにはバグが入りにくい。少なくともバグが見つけやすい。修正もしやすい。拡張もしやすい。初見でも理解しやすく手が空いている人を必要な時だけ連れてきて保守させることができるため専属の保守員というのも不要になる。非常に多くのメリットがある。

だがこれらはあまり目に見えるものではない。いや、目には見えているはずである。だが何故そうなのかが考えられて評価に結び付くことが少ない。評価されるべきメンバー、あるいはふざけるなというコードを書いたメンバーはその時にはすでにプロジェクトから外れているということも多い。
そういったこともあり、バグ数の多寡は評価されてもコードの善し悪しが評価されることは少ない。そのせいなのか良いコードを書く人もそうでない人もひとくくりにされてしまってコードを書く行為への評価が高くなく、コードを書くのは給料の低い人となっている感がある。そのため給料が上がってくる=>コードを書かなくなってくる=>書けなくなるということがあるように思われる。

私の経験上、汚いコードを書く人が多いプロジェクトは属人的になっていることが多く、人員の入れ替えが難しい。新たな人を投入してもコードの理解が難しいため戦力になるまでに長い時間を要すが、管理者はそれが分かっていないから人を増やした分だけ進捗が上がると思っている。その分を古参のメンバーが頑張ってカバーしようとするが、時間が足りないため小手先のコードが増えてますますコードが汚くなっていくという悪循環となる。こうなるともうおしまいだ。

繰り返し言うがコードの善し悪しはお金に直結する。高給取りがコードを書いていても何もおかしいことは無いはずだ。彼・彼女の書いたコードは綺麗なのでお金がかからなくていいね~という会話がされるようなプロジェクトに参加したいものである。

さて、いろいろ書いてきたがそういうわけで年齢によりある種の壁にぶつかるということはあるのかもしれないと考えるようになってきた。

だがまあ仕事でコードを書くことは減ったとしても、技術的に付いていけるかどうかということについては最終的には個人の意識の問題だ。仕事はどうあれ生涯プログラマであると言えるように常に技術だけは磨いていきたいと思っている。

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