子供手当について考える

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民主党のマニフェストが発表されました。
ろくな公約が無くてまいってしまいます。
民主党を支持するという人達はちゃんと考えているんでしょうか。自民党に反対するからという理由だけで脊髄反射的に支持しているんじゃなければよいのですが。
民主党のマニフェストで一番ひどいのは5本柱のうち子育て・教育の項目です。子育ては無料にすればいいというものではないのです。親が子のために節約をし、子にかかる費用を捻出する姿を見せるのも立派な教育なのです。
現状のマニフェストは親が子のために努力することを放棄するというのを推奨するようなものです。こんなのは決して教育とは言いません。
勉強ができる、できないなどといったこと以上に大きな問題です。


私事ですが、私は中学3年の2学期以降と高校の3年間いわゆる有名進学塾というものに週2回3年半の間通い続けました。かなりなお金がかかったことは言うまでもありません。
それについて高校に入学する直前にこんな会話を母と交わしたことを今でも覚えています。
母「せっかく上のクラスに入れたんだからこのまま高校も塾に通い続けたら?」
私「お金も結構かかるし必要ないよ。勉強は家でもできるし。」
母「勉強にかかるお金だったらどれだけかかってもいいからそういうことは気にしないでもいい。」
公立高校ではあったものの入学金の金額の高さに驚いていた私は、これ以上の出費をさせたくないという思いがあり一度は断ったものの、結局は母の言葉に甘えて高校の3年間も塾に通い続けることとなりました。
入塾の手続きも自分で行いましたが、その時に受講料も自分で窓口に提出しました。それまで手にしたことの無いような額のお金が一瞬に手から離れていく様を目の当たりにし、親が相当頑張ってくれているのだというのが身にしみました。
社会人となり、自分で収入を得るようになった今ではあの頃かかった費用が相当なものであったことがよく分かります。兄も私立大学に通っていたこともあり、貧しくはなかったものの決して裕福でもなかった我が家にとってはかなり大変だったことは想像に難くありません。
しかし、だからこそ私のために力を注いでくれた両親には強く感謝をしているのです。
もしこれが無料であったりしたら今ほどの感謝をできたのかと考えるとおそらくはできなかったでしょう。現に小中学校に通えていたことについては高校以降に比べて感謝の念は非常に薄いです。
親の背を見て子は育つといいますが、自分のために頑張ってくれている親の姿というものこそ教育の基本ではないでしょうか。その姿を見せる機会を奪うような施策は決してよい政策だとは思えません。
もちろん、本当に必要なところにお金を配ったり支援をするのは問題ないでしょう。しかし、今のままでは全く必要のない裕福な家庭にも一律でお金を配ることになります。一方、経済的な項目でもないのに条件に当てはまらなければ貧しい家庭であっても増税という扱いになることは非常に疑問に感じます。少なくとも子供手当の配布にあたっては経済的な条件を設けるべきです。
他のマニフェストにも思うところはありますが、暇があったら書いてみたいと思います。

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