見た目での評価

Filed in まじめな話

先日、高校入試で選定基準に載っていない服装の乱れ等を理由に不合格にしていたという理由で高校の校長が異動させられましたね。
おかしいと思う人が多かったから話題になったのでしょうが、私もおかしいと思います。
私が思うには服装が乱れていること自体よりも、その場に合わせた服装ができないってことがよっぽど問題だと思います。
入試というのは自分を評価してもらう場であり、評価者に少しでも印象を良く見せるという努力はすべきです。それは態度であり服装であったりする訳です。そこに考えが及ばないこと自体が、勉強ができるとかできないとか、服装が乱れているとか乱れていないとか以上に問題です。思考力がないとしか言えません。そんな人間には自分の所属する組織に居てほしくないというのは当然の考えでしょう。
葬式にアロハシャツを着てくるような奴は、頭おかしいんじゃないかとみんな思うんじゃないでしょうか。
そういう考えを少しもすることができないような輩が将来高級ホテルのロビーで半裸で歩き回ったりするんじゃないでしょうか。
もし、考えが及んでいるのに「自分の考えと合わない。服装は乱れていても人柄を見ろ。」という理由であるなら納得もできます。しかし、自分の考えを貫き通すのであれば、相手の価値観が合わない場合は評価を悪くするという覚悟が必要です。その覚悟がないのならやはり評価者に合わせるべきです。
公立高校だというのが、また問題らしいのですが、そんなことは小中9年間で学んでください。中卒でもそのあたりよっぽどしっかりできている人はたくさんいます。それができていないのだから学習能力がないと判断されても仕方がないでしょう。
それでも書いてない基準を用いるのがダメだという意見もあります。しかし、公正であるとされ、法治国家の最高の規則である法律に則った裁判であっても裁判官の心証は非常に重要です。いわんや高校受験程度で心証が影響しない訳はありません。
なんでも書いておけなんてことを言うから、ダメって言われなかったなどと意味不明な理由で犯罪をする輩が出てくるのではないですかね。
この、校長異動の教育委員会の決定は本当に腹立たしいです。

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