必ずしも誤りではない、だがしかし。

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最近気になっていることがあります。
それは鳩山首相の会見での発言についてです。首相の会見を見ていると、かなり高い確率で「必ずしも○○ではない。」という言葉が出てきます。この言葉が気になってしょうがないのです。
述語論理という学問をご存知でしょうか。情報科学系の大学に進むと必ず履修すると思われますが、ざっくり言うと、ある事柄の真偽を論理的に導き出すというものです。
論理的に真偽を導き出すため、数学的な記法を用いることになっています。
「すべての鳥は飛べる」というのを無理やり表現してみるとこうなります。

∀鳥[飛べる]

∀は全てを意味します。PCによっては「すべて」と打つと変換で出てきたりもしますね。
これを否定する場合、以下のようになります。

¬(∀鳥[飛べる])

¬は否定の意味です。()内全体を否定していることになります。自然言語に直すと「かならずしも全ての鳥が飛べるわけではない」となります。これは首相の発言と同じ言い回しですね。
では、()を外してみるとどうなるでしょうか。

∃鳥¬[飛べる]

となります。∃は「存在する」ということを意味しています。つまり”¬[飛べる]である鳥が存在する。”ということです。では”¬[飛べる]”をどう読めばよいかですが、[飛べる]を否定しているわけですから¬[飛べる]=[飛べない]となるわけです。
したがってこうなります。

∃鳥[飛べない]

自然言語で表現すれば、「飛べない鳥が少なくとも1種類は存在する。」ということにないます。
以上より、以下の2つの文は同じ意味だと言えるのです。

  • 必ずしもすべての鳥が飛べるわけではない
  • 飛べない鳥が少なくとも1種類は存在する


では述語論理からは離れて、実際にこれらの文章が使われたときの印象はどうなのかという話について考えてみます。
「飛べない鳥が少なくとも1種類は存在する。」
こう言われた時、どう感じるでしょうか。
多くの人は「大抵の鳥は飛べるけれど一部の鳥だけは例外的に飛ぶことができない。」と考えるのではないでしょうか。
よほどのひねくれ者でない限り「少なくとも1種類というのは大部分のこと」という捉え方はしないでしょう。
ということは、同値である
「必ずしもすべての鳥が飛べるわけではない」も同じように解釈できるのです。
つまり、
「必ずしも○○ではない」というのは、「基本は○○だが、少しは違うよ。」と解釈できるでしょう。
さて、鳩山首相の発言に戻りますと、最近の発言では北沢防衛相が「普天間飛行場を辺野古に移転」との発言を受けて、首相は「必ずしもそのようには思っていない」と言ったようです。
この言葉からすると、「基本は普天間飛行場を辺野古に移転であるが、違う可能性も多少はあるよ。」ということになり、事実上辺野古移転もやむを得ないと認めていることになるのではないでしょうか。
ここは、必ずしもなどとあいまいに言うのではなく、「そうは思っていない」と言い切るべきではないのでしょうか。
その他にも、「必ずしも○○ではない。」などと言っているときは答えをはぐらかしたい時に使っているように思えてなりません。

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