タイムマシンについて考えてみる

Filed in 妄想

高校のたしか1年生の時、友人たちとタイムマシンについて小一時間ほど真面目に語り合ったことがあった。
高校生にもなって何を真面目に話し合っているのかと思われるかもしれないが、友人たちの名誉のために言っておくと高校生だからこそできた会話であった。
たとえば、光の速度を超えて移動できれば~、でも相対性理論によれば~、仮に相対性理論が間違っていたとすれば~、それだと光の速度を超えて移動できればって前提も間違ってるかもしれないから話にならないんじゃないか~、といった内容だったと記憶している。
こんなバカバカしい話を真面目に話せたのは、適度に学力レベルが同じでくだらないことを考える人が集まったからできたものだと思っている。
まあ、そんなわけでタイムマシンについて熱く語り合ったのもいい思い出であるが、その後も時々ひとりでタイムマシンについて考えてみることがあった。


私は最終的にはタイムマシンを作ることは不可能だという結論にたどり着いた。(まあ、常識的に言えば当たり前ではあるが。。)
これは、物理学の見地からすればそんなことはないなどと言った批判もありえるかも知れない。しかし、技術的にどうとかいったことを抜きにしても作れないことを説明できるのである。
仮にタイムマシンができたとしてまず最初にすることとは、過去に戻って過去の自分にコンタクトすることで現在の自分にいい影響を与えるということだろう。
良くある話では1か月前に戻って当たり万馬券を教えてあげるというものかと思われる。
しかし、よく考えれば1ヶ月後の自分も現在の自分に対して同じ事をしようとしたはずなのである。
それなのに現在の自分が万馬券を教えて貰えていないのであれば、現在の自分だって過去の自分に教えてあげることはできないのだ。
もし現在の自分が教えてもらってないのに過去の自分に教えることができたのだとすれば、それはすでに過去の自分ではなく全く別人でなければならない。
要するに過去の自分らしき人に何かをしたとしても、自分自身が未来の自分から同じことをされていないのであれば、その過去の自分らしき人は過去の自分ではなくただ似ているだけの人なのである。
その人が過去の自分であれば、現在の自分も未来の自分に同じことをされているはずであり、その行為が現在の自分に影響を与えることはなく、現在の自分からすれば存在する世界が変わっただけであって時間の流れはいつも通り流れているだけに過ぎないのだ。
例えて言うと、
千と千尋の神隠しで飛ばされた世界が過去に似てた世界だったという感じだろうか。飛ばされた本人にとってみれば、過去に似ているだけで過去でもなんでもなくいつも通りの時間の流れの中にいるだけということだ。
そういう意味で、青い耳なし猫のように机の引き出しに飛び込むことで、過去に似た世界の過去の自分に良く似た人に出会えたとしても、それは過去とはいえずタイムマシンに乗ったとは言えないのである。
タイムマシンと呼ばれているものを正しく呼びなおすとすれば、過去に良く似た世界を体験できる異世界体験マシンとでも呼ぶのであろうか。
ほんと、バカバカしい話を書いてしまった。。。けど楽しいね。

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