ひどい先生もいたもんだ

Filed in 日記

先日、教師の言葉の暴力により障害になってしまったというニュースを見ました。
ストレスで目が見えなくなるとか耳が聞こえなくなる等の症状が出たそうで、本当にひどい話です。
言うに事欠いて口の開け方の指導に力を入れていたなどと言っていたらしく、お前がまず人としての在り方を指導してもらってこいという感じです。
しかし、昔からひどい先生はいたもので、私の中学の頃もひどい先生がいました。
その先生は非常勤の先生でしたが、なぜか私のことを嫌っており、授業中でも名指しこそしませんが、誰にでも私のことだと分かるように「生意気な生徒がいる」などと事あるごとに言っていました。
そのうちどんどん酷くなり、下級生の授業中にも私のことを言うようになったそうです。近所の女の子が言うにはイニシャルトークだったそうですが、私のことを知っていれば誰のことを言っているか分かったそうです。ひとづてに話を聞いた母が、「学校で何か悪いことでもしたのか?先生とはうまく付き合うようにしなさい。」などと突然言ってきて驚いたことがありました。
下級生に私と面識のある人の方が少ないというのに、その先生が何を求めていたのか今でも分かりませんが酷い話です。他の先生とは別に悪い関係ではなく、そんなのはその先生だけだったので、特別私が悪いとも思えません。授業中に寝ることはありましたが、授業を妨害したことはなく、成績も決して悪くはありませんでした。
幸い、私は当時から教師にもいい人と悪い人がいることを認識していましたし、いちいちそんなのは気にしない方であるので、悪い先生に当たってしまったなあという程度で普通に過ごしていましたが、生真面目なタイプだったら真剣に悩んでしまっていたかも知れません。
まあなんにせよ、いわゆる聖職と言われる教師であろうと、結局はただの人間なわけで、こいつ頭おかしいんじゃないのかって人はいますので、そんな人に当たってしまったら気にしないで適当にやり過ごすのが一番ですね。
本当に人の出会いは運です。こればかりはどうしようもありませんね。

見た目での評価

Filed in まじめな話

先日、高校入試で選定基準に載っていない服装の乱れ等を理由に不合格にしていたという理由で高校の校長が異動させられましたね。
おかしいと思う人が多かったから話題になったのでしょうが、私もおかしいと思います。
私が思うには服装が乱れていること自体よりも、その場に合わせた服装ができないってことがよっぽど問題だと思います。
入試というのは自分を評価してもらう場であり、評価者に少しでも印象を良く見せるという努力はすべきです。それは態度であり服装であったりする訳です。そこに考えが及ばないこと自体が、勉強ができるとかできないとか、服装が乱れているとか乱れていないとか以上に問題です。思考力がないとしか言えません。そんな人間には自分の所属する組織に居てほしくないというのは当然の考えでしょう。
葬式にアロハシャツを着てくるような奴は、頭おかしいんじゃないかとみんな思うんじゃないでしょうか。
そういう考えを少しもすることができないような輩が将来高級ホテルのロビーで半裸で歩き回ったりするんじゃないでしょうか。
もし、考えが及んでいるのに「自分の考えと合わない。服装は乱れていても人柄を見ろ。」という理由であるなら納得もできます。しかし、自分の考えを貫き通すのであれば、相手の価値観が合わない場合は評価を悪くするという覚悟が必要です。その覚悟がないのならやはり評価者に合わせるべきです。
公立高校だというのが、また問題らしいのですが、そんなことは小中9年間で学んでください。中卒でもそのあたりよっぽどしっかりできている人はたくさんいます。それができていないのだから学習能力がないと判断されても仕方がないでしょう。
それでも書いてない基準を用いるのがダメだという意見もあります。しかし、公正であるとされ、法治国家の最高の規則である法律に則った裁判であっても裁判官の心証は非常に重要です。いわんや高校受験程度で心証が影響しない訳はありません。
なんでも書いておけなんてことを言うから、ダメって言われなかったなどと意味不明な理由で犯罪をする輩が出てくるのではないですかね。
この、校長異動の教育委員会の決定は本当に腹立たしいです。