派遣>首切り>強盗とは、同情はできない

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かなり久し振りの更新です。
忙しくてどうにもなりませんが、仕事があるだけいいのでしょう。と思うことにします、、。
今日Yahooでニュースを見ていたところ、派遣の人が仕事がなく強盗をしでかすというニュースが流れておりました。この35歳男性は3か月家賃を滞納しており、所持金が9円だったとか。
こういうニュースをちょくちょく見かけるようになりました。この人は11月の上旬から仕事がないのだとか。
しかし、この手のニュースを聞くと不思議に思う事があります。11月の上旬から仕事がないということは、つまり収入が無いのはわずか1か月ということだと思います。
何か月も収入がなかったとか強盗にでもあって全てのお金を持っていかれたと言うのなら話は分からなくもないのですが、1ヵ月ですべての所持金がなくなるとは、どういうお金の使い方をしているのでしょうか?手に入ったお金をすべて使うという生活をずっとしてきたのでしょうか。
仮に25歳から働き始めたとして10年間、月々1000円づつでも貯蓄していけば12万円はあるはずです。独り身であれば12万円あったら1ヵ月で全てなくなるなんてことはないです。18歳頃から働き始めていたとすれば20万以上にはなっています。1か月なら全然余裕でしょう。それでも無くなるというのならただの浪費家もしくは節約の仕方を知らない馬鹿としか言えません。
もし、月々1000円づつすら貯めることができない程ぎりぎりの生活をしていたというのであれば、10年もの間その状態で良しとしていたことが問題です。危機意識がなさすぎです。
20代の頃に多少は周りに迷惑をかけてでも別の道を探すべきですね。
そういった訳で自分自身が貯蓄という行為をしてこなかった事を棚に上げ、首を切られた、社会が悪いなどという輩には同情できません。
私なんて小学生の頃から、もしもに備えて小遣いを少しずつ貯めてましたよ。もちろん、もしもがあったらすぐ無くなるような少額でした。しかし、そういった意識は常に持っていました。小学生より危機意識がないなんて恥ずかしいとでも思って頑張って欲しいものです。

ひどい先生もいたもんだ

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先日、教師の言葉の暴力により障害になってしまったというニュースを見ました。
ストレスで目が見えなくなるとか耳が聞こえなくなる等の症状が出たそうで、本当にひどい話です。
言うに事欠いて口の開け方の指導に力を入れていたなどと言っていたらしく、お前がまず人としての在り方を指導してもらってこいという感じです。
しかし、昔からひどい先生はいたもので、私の中学の頃もひどい先生がいました。
その先生は非常勤の先生でしたが、なぜか私のことを嫌っており、授業中でも名指しこそしませんが、誰にでも私のことだと分かるように「生意気な生徒がいる」などと事あるごとに言っていました。
そのうちどんどん酷くなり、下級生の授業中にも私のことを言うようになったそうです。近所の女の子が言うにはイニシャルトークだったそうですが、私のことを知っていれば誰のことを言っているか分かったそうです。ひとづてに話を聞いた母が、「学校で何か悪いことでもしたのか?先生とはうまく付き合うようにしなさい。」などと突然言ってきて驚いたことがありました。
下級生に私と面識のある人の方が少ないというのに、その先生が何を求めていたのか今でも分かりませんが酷い話です。他の先生とは別に悪い関係ではなく、そんなのはその先生だけだったので、特別私が悪いとも思えません。授業中に寝ることはありましたが、授業を妨害したことはなく、成績も決して悪くはありませんでした。
幸い、私は当時から教師にもいい人と悪い人がいることを認識していましたし、いちいちそんなのは気にしない方であるので、悪い先生に当たってしまったなあという程度で普通に過ごしていましたが、生真面目なタイプだったら真剣に悩んでしまっていたかも知れません。
まあなんにせよ、いわゆる聖職と言われる教師であろうと、結局はただの人間なわけで、こいつ頭おかしいんじゃないのかって人はいますので、そんな人に当たってしまったら気にしないで適当にやり過ごすのが一番ですね。
本当に人の出会いは運です。こればかりはどうしようもありませんね。

見た目での評価

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先日、高校入試で選定基準に載っていない服装の乱れ等を理由に不合格にしていたという理由で高校の校長が異動させられましたね。
おかしいと思う人が多かったから話題になったのでしょうが、私もおかしいと思います。
私が思うには服装が乱れていること自体よりも、その場に合わせた服装ができないってことがよっぽど問題だと思います。
入試というのは自分を評価してもらう場であり、評価者に少しでも印象を良く見せるという努力はすべきです。それは態度であり服装であったりする訳です。そこに考えが及ばないこと自体が、勉強ができるとかできないとか、服装が乱れているとか乱れていないとか以上に問題です。思考力がないとしか言えません。そんな人間には自分の所属する組織に居てほしくないというのは当然の考えでしょう。
葬式にアロハシャツを着てくるような奴は、頭おかしいんじゃないかとみんな思うんじゃないでしょうか。
そういう考えを少しもすることができないような輩が将来高級ホテルのロビーで半裸で歩き回ったりするんじゃないでしょうか。
もし、考えが及んでいるのに「自分の考えと合わない。服装は乱れていても人柄を見ろ。」という理由であるなら納得もできます。しかし、自分の考えを貫き通すのであれば、相手の価値観が合わない場合は評価を悪くするという覚悟が必要です。その覚悟がないのならやはり評価者に合わせるべきです。
公立高校だというのが、また問題らしいのですが、そんなことは小中9年間で学んでください。中卒でもそのあたりよっぽどしっかりできている人はたくさんいます。それができていないのだから学習能力がないと判断されても仕方がないでしょう。
それでも書いてない基準を用いるのがダメだという意見もあります。しかし、公正であるとされ、法治国家の最高の規則である法律に則った裁判であっても裁判官の心証は非常に重要です。いわんや高校受験程度で心証が影響しない訳はありません。
なんでも書いておけなんてことを言うから、ダメって言われなかったなどと意味不明な理由で犯罪をする輩が出てくるのではないですかね。
この、校長異動の教育委員会の決定は本当に腹立たしいです。

ノーベル賞の価値

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先日、日本人がノーベル賞を取った話題を取り上げましたが、それに対してどうもイタリアの物理学会がノーベル賞を盗んだと言っているとか。正直、浅ましいとの印象しか受けません。
小林・益川理論の基礎となったのはカビボ氏の理論だがカビボ氏が対象から外されたためだということだそうで。イタリアの物理学会はともかく本人はどう言っているのでしょうか。報道を見る限り公式にコメントを出してはいないようですね。
私が思うには、本人は賞をもらうことにそれほど固執してはいないのではないでしょうか。ただ、周りが騒いでいるだけだと思っています。
物理学に造詣は深くないので詳しいことは分かりませんが、今回の理論、その世界では「カビボ・小林・益川理論」などとも呼ばれ、基礎理論がカビボ氏のものであることは周知の事実であるようです。科学者にとってはこれで十分なのではないでしょうか。
もちろん、高額な賞金もあることですし貰えるものなら賞を貰いたいというのはあるでしょうが、初めから賞が欲しくて研究をしている科学者など極めて少数なのではないでしょうか。研究することが好き、面白いなどが研究を続けられる理由だと思うのです。その結果がたまたま賞だったということだと思うのです。賞をとれなかったからと言ってカビボ氏の理論の価値が低くなるわけではないでしょう。
それなのに、「俺(今回は本人ではありませんが)に賞をよこせ。」のように実よりも名のようなことを言うのは科学者としてどうなのかなあと思ってしまいます。
しかしここで小林・益川両氏が「イタリア物理学会がやいのやいのうるさいのでノーベル賞を辞退します。別に賞のために研究をしているわけではありません。そんなに賞が欲しいのならイタリア物理学会に上げてください。」とか言ってくれたらすごくかっこいいですね。まあ、ないでしょうけども。
もしそうなったらイタリア物理学会はどういう態度を示すのでしょうかね。「とんでもないことになってしまった」となるのか、「ほらみろ。やっぱりカビボ氏こそが相応しい。賞をよこせ。」となるのか。後者だったら最悪ですね。

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ノーベル賞発表

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日本人がノーベル賞を取ったそうで、おめでとうございます。知り合いでもなんでもありませんが同じ日本人として喜ばしく思います。
村上春樹氏は残念でした。
とはいえ成した業績の価値は変わりません。すごい作家であることは疑いもないことでしょう。
などと書いておりますが、私、村上春樹氏の本はほとんど読んだことがありません。唯一読んだのは「ねじまき鳥クロニクル」ですが、この本の中のクミコの行動がややトラウマとして印象に残ってしまっておりどうしても他の本を読む気になれないのです。
ここ1年ほど本屋に行くと村上春樹コーナーなるものをよく見かけました。ですが、私の足はそのコーナーの前を完全に素通りしていたのです。
ノーベル賞にノミネートされるくらいだから読まねば、、などとは思いません。
賞を取った本だからといって興味をもつことはあんまりないですからね、、。今後も自分が面白そうと思った本だけ読んでいきます。いえ、村上氏の本が面白くなさそうというわけではないですよ。ただ、、トラウマが、、。
何はともあれ、ノーベル賞を取った2組の方々はおめでとうございます。

10/13追記 3組でしたね。南部名誉教授を忘れていました。すみません。

人が成し遂げなかったことをするには
妄想>想像>予測>観測>事実
という過程を経ると思っている私であります。
それぞれの間には計り知れない壁がありますが、起点となる妄想は大切なんだなあと改めて思った出来事でありました。

なおざりとおざなり

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長い間、なんとなく意味は知ってるけどはっきり知らない。違いがはっきりしないと思っていた「なおざり」と「おざなり」。
今までなおざりにしてきましたが重い腰を上げて調べてみました。
どうやら、「なおざり」はほったらかしにして対応しないこと。「おざなり」は対応はするけど内容が適当なまま終わってしまうこと。というような意味合いのようです。
この言葉を聞くたびに(あぁこの使い方は合っているのだろうか?)などと思っていましたが、これからはそんな疑問を抱かずに済みます。
さて、突然こんなことを調べたのには理由があります。まぁ例の如く仕事の話です。
単なる長い愚痴なので暇でしょうがない人だけ読んでくだされ。
私は仕事でプログラムを作ったりしているわけですが、プログラムを作るにあたって仕様を決めねばなりません。簡単にいうと、こういう機能があって、こういう風に動いてってことを決めるわけです。
自分だけで決めて勝手に作るわけにもいかないので、まず文書として仕様書というものを作成して上司や関連者に合意を取るわけですね。
当然、すべての機能を使いやすくできればベストなのですがなかなかそうもいかず、(ここはユーザに優しくない機能だなあ。でも開発期間の制限もあるしなあ。この機能を使いやすくすると、相当時間をとられるなあ。そうすると他の機能を削らねばならぬなあ。どうしたものか。)などと葛藤することもあるわけです。
そこで、(仕方ない、削れる機能はないし、多少の使いにくさはしょうがないとして、まずこれで提出してみるか。)などと決断することがあるわけです。
そして会議であーでもないこーでもないと話すのですが、上記の経緯で決定したものはユーザに優しくないことは百も承知であるので会議の場で確認するのです。
私「ここは、こんな感じでちょっと使いにくいですけどどうですか?こうすれば同じことはできるんですけど。だめならもう一度考えてみます。」
などと確認を取るわけです。すると、
上司など「代替手段があるならそれでいいんじゃない?」
などと余りにもあっさり決定して拍子抜けすることがあります。
私「こういうデメリットがありますけど本当にいいですか?」
とちょっとしつこいくらいに確認するんですが、答えは同じでそのまま会議は終わります。
会議後にも配布した仕様書に対する指摘は上がってきます。ですが、その内容は「誤字がある。」だの「段落がずれている。」だのくだらないものが大半であることが常です。
もちろん、人に見せる文書であるので体裁を整えるのが不要だとは言いませんが、肝心の仕様の可否を全く見てくれていないのです。
そしてそのまま、開発も終盤に突入します。
その段になって、ようやく
上司等「ここ使いにくいんだけどなんとかしてよ。」などと言ってきます。
何言ってんだ。何度も確認したのにそっちがOKだって言ったんじゃないか。
今からそんなとこ直せるわけねーだろ。と思いつつ
私「でも会議で何度も確認したけどOKって言いましたよね?」
などというのですが、
上司等「使いにくかったら駄目だろぅ」
バカ!だから何度も確認したんだろうが!
だったら最初から言え!
ということがありまして。。
ここでタイトルに繋がるのですが、
仕様書の確認を「おざなり」にしやがって。?あれ?「なおざり」にしやがって?どっちだろう?
などと思って現実逃避的に意味を調べ始めたというわけです。
結局、仕様書の本質的な確認を「なおざり」に、全体を「おざなり」にしたというのが正解でしょうか。

残業するのは無能の証?

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皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。ご無沙汰しております。
ようやく仕事も一段落・・・などする訳もなく、、相変わらず忙しい日々を過ごしています。時々胸が締め付けられるような痛みを感じ、明らかに寿命が縮んでいるなぁと実感する今日この頃です。
体力的にはきついですが精神的には参ってしまわないように色々工夫しているので何とか耐えることができています。この仕事、体もそうですが精神的にきついですからね。こちらのケアが大事です。
プログラマを目指している若人たちは、自分が精神的に強いかどうかを考えてみてください。もし自分が精神的に脆い方だと思うのなら目指す道を考え直すことをお勧めします。
そんな状態なのでやはり全くネタがない。仕事のことを書くしかないのであります。
無理に書かなくてもいいと言われればそれまでですが、愚痴りたいんだよぅ。
うちの会社特有の現象なのか分かりませんが、常々不思議に思っていることがあります。それは、「仕事をしない人間ほど定時きっかりに帰っていく」ということです。仕事をしないんだから仕事が溜まっていって残業しなければいけないんじゃないかと思うのです。ですが不思議なことに定時に帰っていきます。
いや、まあ、原因は分かっていますが、、、不思議だなあと錯覚しておかないとやり切れない。
偉い人たちは「残業するなんて時間内に仕事を終えられない無能な証」などと言います。まあ、言っていることはわかります。私もそうであればいいなあと思います。ですが現実はそうではありません。

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暑(くるし)い漢(オトコ)T先生登場

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相変わらず時間がない、、。つまりネタもないので再び昔話を。昔話にも限りがあるというのに早々に尽きてしまうじゃないか。。
ここで書いた後日談になります。
中学1年上期の半年の間、なし崩し的にクラス委員などさせられた私です。そして宣言通りに私は仕事をほとんどしませんでした。
クラス委員の仕事を副クラス委員のKさんが、副クラス委員の仕事を書記のHさんが行うという半年でありました。
誰もが私にクラス委員は向いていないとわかったであろうと私は信じて疑いませんでした。
ですが、中学2年に進級した初日に全くそう思っていない人がいることが発覚しました。
それがT先生です。
無事1年生を終え2年になった春。
入学時には大きかった制服も小さくなったような気がします。実際にはほとんど身長変わりませんでしたが。
始業式も終り、新しい教室で新しいクラスメートと馬鹿話などをしてホームルームの開始を待ちました。しばらくすると、新たな担任T先生が教室に姿を現しました。
T先生は形式通りの挨拶をしたあと、おもむろにこう言いました。

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ある読書感想文

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ここのところずっと忙しいですが、ようやく仕事以外のことをやる時間も出来てきました。そのかわり睡眠時間が減っています。あれ?結局働いてる時間は変わってないのか。。
そんなこんなでネタが無いので昔話などを。
9月になり新学期が始まった小学生は多いことでしょう。私が小学生の時も9月と言えば新学期の始まる月でありました。そして新学期最初のイベントというと、夏休みの宿題の提出であることは言うまでもありません。
小学6年生だった当時の私は今と変わらず読書は好きであったものの読書感想文を書くことは非常に苦手でした。そのため夏休みの宿題として課される読書感想文を書くときは非常に苦労していました。
興味もない推薦図書などというものを読み、思いもしなかった感想を書きつづるという苦行をなぜ強いられるのかと思っていました。
感想文の提出の日。出来の悪いのは重々承知でしたがランドセルから原稿用紙を取り出しました。隣の席の決して成績が良いとは言い難いH君も手提げ袋から原稿用紙を取り出しております。覗き見するつもりは無かったのですが、H君の読書感想文のタイトルが見えてしまいました。

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推薦という行為

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推薦には自薦と他薦とがありますが、いずれもその役に相応しい人を選ぶという行為であることは皆さんご存じの通りです。そして、人を知ることは数時間では無理であることもご存じでしょう。
にもかかわらず中学1年の入学式の日、私をクラス委員に推薦したI君は何を考えていたのか。私は全くそのような人間ではないのです。その日が初対面であり、5分程会話しただけのI君に私の何が分かるというのでしょうか。あれから20年近くたった今でも推薦された理由がまったくもってわかりません。
A先生もA先生です。
「とりあえず仮だからDracula君にやってもらって、1週間後に正式に選びなおしましょう。」などと言っていたのに、1週間後に「Dracula君が正式なクラス委員に反対の人は挙手してください。」などと言って手を挙げる人がいるはずないじゃありませんか。もう何かの罠としか思えません。「私は仕事をしませんよ。」とまで言ったのに、、。
まあ、、最大の被害者は何もしない私の代わりに全ての仕事をしていた副クラス委員のKさんですけど。今更ながらごめんなさいね。文句はI君とA先生にお願いします。